今日のおおしお市民農園




2012年10月11日(木): アイヌ語地名の旅・(小樽)編です。
以下、画像を中心に解説を加えてゆきます。




札幌・小樽境の新川(かって、小樽内川が流れていた。)
この地のアイヌを、現在の小樽市・入船町(そのころは、クッタルシ)に移し、
元の地名そのままに・小樽内場所を起こし、運上屋を建てたそうです。



銭函一丁目東端から、歌棄方面?を望む。

なお、桂岡交差点で国道5号線に交差する通りが「歌棄通」ですが、
それが海岸まで通じていなく、歩道もなく浜には降りられませんでした。
東寄り(礼文塚近く)で海岸線を覗いた感じでは、急な崖で線路の先は直ぐ海でした。

仮説ですが: 歌棄は現在の銭函駅前の浜ではないでしょうか?
銭函駅過ぎから、線路は海岸線際を走り。崖は海に迫り、今では砂浜は見受けられません。

しかし、永田地名解では、銭函と礼文塚間に、”ヤンゲノッカ、歌棄、ポロナイ”が在ります。
又、山田「北海道の地名」でも地名・川名としていますから、やはり聾学校脇の川(の先)でせうか?。むむむ....。
今回巡った、「歌棄」地名5件の中で、確信の持てないまま終わった地名でした、残念です。



銭函の石倉・「大坂屋」の屋号が在りました。



小樽三大網元の一つ、祝津の「茨木家番屋」。現在も住宅とされている様子です。



修復された、祝津の「茨木家中出張番屋」。



祝津の、にしん街道標。



小樽三大網元の一つ、祝津の「白鳥家番屋」。

(残る網元は、青山家です。祝津に「青山家別邸」が在りますが、これは番屋ではないので
省略です。「本邸」は山形県遊佐町に在り、故郷に錦の典型ですね。
なお、青山家番屋は、札幌「北海道開拓の村」に移築保存されているそうです。)

以下仮説です:これら番屋は、高島漁港の隣・祝津に在りますから。過っての、「高島場所」の領域ですね。
場所請負制が廃止されたとは言え、元請負人の影響は強いでせう。その影響を避け、
祝津に拠点を設けたとも考えられます。

場所請負制は、政商が支配する構図です。それが明治2年に廃止され、(制約有りの)自由競争の下、
小樽の三大網元などは、自らの才覚で台頭してきた新興勢力の構図ですね。



小樽内運上屋跡碑。
堺町郵便局脇に建っています。でも本当に此処に運上屋が在ったのでしょうか?
堺町が高島場所/小樽内場所の境とされていますから、小樽内運上屋が堺町に在るのは不自然とも考えられます。




小樽内運上屋跡説明板。
上記、小樽内川のアイヌをクッタルシ(現在の入舟町辺り)に移し、おたるない場所とした。
「クッタルシ」:(クッタル・ウシ・イ: kuttar-ush-i)いたどり・群生する・処の意。
この「いたどり」ですが、漢字だと”虎杖”と書きます。有名なのが登別近くの、虎杖浜です。

なお、小樽市の由来は、この小樽内から来ています。


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