今日のおおしお市民農園




2016年07月17日(日): 昨日・北海道の旅から帰って来ました。
その記録、積丹・入舸の大網元・齋藤家漁場の紹介です。
齋藤家初代の彦三郎は、ニシン漁の建網の一種「角網」を導入し漁法の革新をもたらしたそうです。

この齋藤家の漁場の一つに「島武意海岸」があります。今でこそ渚百選として知られていますが、
漁場として栄えたことを知る人は少ないですし、案内も在りません。只、石垣が残るだけです。
なお、この石垣には「紀念 齋藤丈雄 大正六年五月」と刻まれています。

入舸に齋藤家の番屋が在ったのですが、現在は取り壊され、別の建物が建っています。
番屋跡前に在る、旅館のご主人に聞いた話では、漁業組合の施設として使われていたが、
老朽化と保存運動が不調に終わり、やむなく取り壊されたとのことです。

PS. 「島武意:しまむい」(シュマ・モイ: shuma-moi) 石の・入江の意です。

PS2. 齋藤彦三郎は、津軽/中泊・脇元の出身です。故郷に錦でせう、脇元に鰊御殿を建てたそうです(未確認です)。
現在の鰊御殿は、それを模した物と思われます。09/16 にそれを撮影してみました。





島武意海岸トンネル(ニシンを島武意海岸から入舸へモッコで運んでいたそうです。)
観光用に掘ったトンネルではないのですが、それを知る人は少ないでせう。




トンネルを越え、島武意海岸を見下ろす。




番屋跡の石垣 (十年程前には、観光名所に何故石垣がと不思議に思ったものです。)




石垣の銘板 「紀念 齋藤丈雄」 (「齋藤家二代目」丈雄[タケオ]は彦三郎の孫or子?)




船着き場方面 (シュマ・モイ:shuma-moi; 確かに「石の・入江」ですね。)
屏風岩が北西の季節風を防いで呉れそうです。




船着き場の橋桁? (左後方に崩れた石垣が在りますが、漁家建物が在ったのでせう。)




船着き場から石垣




齋藤家番屋跡地




齋藤家番屋 (鰊番屋全記録より借用)[取壊し前の番屋を見た記憶が在ります。]
只、その当時は知識も無く、屋上に望楼が無い為番屋との確信が在りませんでした。
江戸末期から明治初頭には、「佐賀家漁場」に代表される望楼の無い番屋(母屋)が普通なのです。
この齋藤家番屋には、屋上に望楼は無いものの、前面に望楼出窓?が在りますから明治中期頃の建設でしょうか?
なお、旅館のご主人によると、積丹役場には齋藤家番屋の写真が相当数保存されているそうです。




津軽半島/中泊・脇元の鰊御殿 (09/16 撮影追加)
 齋藤家の鰊御殿(未確認)を模した物でせう。忠実に復元かどうかは判りません。
 柱も細く重厚さに欠けますが...、まあ文化伝承の意味合いはありますね。




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