北海道・雄冬山

【山域】雄冬山(1,197m)
【場所】北海道
【日時】2012年04月14日(土)
【コース】岩尾温泉 - 天狗岳鞍部(旧武好駅逓?) - 雄冬山(往復)
【メンバー】単独
【装備】シュガーダディ, TLT, ガルモント Mgライド
【地図】別刈、雄冬
【天気】快晴



岩老川:320m岩峰




天狗岳鞍部(旧武好駅逓?)手前、天狗岳
(この地点、小さな沢が食い込み、帰りに苦労[安易に逃げ、失敗]しました。)




天狗岳鞍部(旧武好駅逓?)過ぎから、雄冬山




900m?辺りから、増毛山道と天狗岳




山頂から、暑寒別岳




山頂から、岩尾温泉(日本海)を望む




山頂から、天狗岳




山頂から、群別岳と浜益岳




天狗岳麓(旧武好駅逓?)近くから、雄冬山




増毛山道(岩尾温泉ルート):B71標識 (B70も確認しましたが、痕跡判らず。)




B71標識地点(岩尾温泉ルート):電信(話?)線が樹に食い込んで残っています。(数箇所残っています。)



さんこう記録

(北海道 - 山スキー)

2012年04月14日(土): 雄冬山は浜益御殿経由で登るのが一般的です。
しかし、私は天邪鬼です!岩尾温泉もしくはケマフレから直接雄冬山を目指したいのです。
例年だと日本海側の海岸線は雪消えが早く、3月中旬までが適期です。
ところが、今年は残雪が遅くまで残っています。岩尾温泉から雄冬山を目指します。
(岩尾温泉は夜間閉鎖され、早朝も駐車不可です。雄冬の公衆トイレ脇の駐車場で車中泊でした。)

集落の最上部の空地に駐車し出発です。貯水池の水路に沿って登り、台地に立てば、
残雪は十分です。シール登行開始です。(勿論、前日に下調べは済ませています。)

台地から、一度岩老川に降り、320m岩峰脇を通過します(帰りに天狗岳の滑降を考えていましたから)。
(天狗岳の滑降を考えなければ、尾根筋を辿るルート[岩尾の山道]も可でせう。)
その後、天狗岳鞍部(旧武好駅逓?)を目指します。しかし、550m辺りから鞍部までが問題です。
小さな沢が入り込み、アップダウンが在ります、帰りのルートにすると難儀しそうです。

天狗岳鞍部からは小さな起伏(708.9mの武好三角点等)が在りますから東から巻きます。
971mピークは、シールで巻くのは厳しく、仕方なく乗越します。
1,050mのやや急な斜面をこなせば、山頂までは後僅かです。
10:41 雄冬山到着。暑寒別、群別、浜益岳等が見渡せます。眼下には岩尾温泉も。
(雄冬山の山頂部はなかなか広いです、ある方はカッパのお皿の様と表現していました。確かにと思います。
山頂[近くの山道脇?]には祠[金比羅宮]が祭られたとのことですが、時の流れと積雪で判りません。)
10:55 雄冬山(下山)です。971mピークもスキーで左(西)から巻きます。
なお、971mピークの北斜面は、このルート最高の快適斜面です。

天狗岳鞍部手前から、スキーでは苦労します。天狗岳に登る為シールを着けます。
しかし、靴擦れは痛く、天狗岳の斜面は急に見えます。あっさりと天狗岳は諦めます。
ここでシールを剥がしたのが間違いでした。登りで危惧したアップダウンに捕まります。
この苦労から逃れるため、(岩老川の流域と勝手に解釈し)沢筋を下ります。
下れども、320m岩峰が現れません!GPSで確認するとマルヒラ川の支流に入り込んでいます。
まあ、ここはシールを貼って岩老川左岸の台地に登り返します。
台地を下れば、間もなく集落上部台地です。
13:41 岩尾温泉到着。苦労の汗は岩尾温泉で流します。


<以下、個人的趣味の領域>

PS. 増毛山道、今回の山スキーでの目的の一つでした。増毛山道は、日本海側の海岸線
(特に雄冬岬)を通過できない(江戸 - 昭和初期)時代に、増毛・別刈から浜益・幌に至る山道です。
他に、天狗岳鞍部(旧武好駅逓?)から岩尾温泉迄、枝山道が通じて居たそうです。
(なお、国道231号線の全線[通年]開通は平成4年(1992年)10月22日。積丹半島同様、厳しい自然環境の地域です。
[今でも海が荒れると、波しぶきに道路が洗われ通行止めになります。昨年?、私も遭遇しました。])

増毛山道、ニシン漁の網元[場所請負人]が、(江戸時代末期に)私費で開削した道だそうです。
その経緯が気になる私です。思うに、許認可権をかさに(幕府・箱館奉行所の)役人が命じたのでは?
網元には、その負担に耐えるだけの、ニシン漁の利益が有ったのでは...?

(その後、調べました。記録によると、安政4年[1857年]ころは、蝦夷地の各地で山道の開削が行われています。
ロシアの脅威を受け、幕府・箱館奉行所が、各地の場所請負人に、許認可権の、圧力で
開削工事を命じたことは疑いもありません。[2012.06.01])

今回の山スキーで増毛山道の遺構を垣間見ることが出来ました。
天狗岳鞍部(旧武好駅逓?)から高度550mのアップダウン区間でB70, B71の標識を発見。
B71地点では、複数の電信(話?)線が樹に食い込み残っているのが見られました。
アップダウンの苦労も、この発見で少しは慰められます。

なお、山道の基点となる増毛の町は風情のある所です、時間があればぜひ散策をお勧めします。


PS2. 旧武好駅逓跡地:天狗岳鞍部(岩尾分岐)では無く、鞍部から北北東に、少し下った辺り、
(地形図的に見て)水を得易い・沢状地形に在ったのでしょうか?(思いが膨らみますね!)[2012/05/30 追加]


PS3. 疑問です!「増毛山道は安政2年[1855年](安政3年とも) に着手?、安政4年[1857年]伊達林右衛門
(三代目・歴代8代目:智信;1872年没)が私費で開削」の説が有力ですが、
増毛山塊は半年以上積雪に覆われます。この短期間で、山道が開削出来るでしょうか?
機械力を導入できない江戸時代にです。到底無理なことでは?
思うに、(新規に)開削と言うよりも、大規模な改修ではなかったかと...。

(なお、寛政8年[1796年] 三代目伊達林右衛門による開削とする、増毛教育委員会の記事も、信頼性が乏しく思われます。
蝦夷地での最初の道路開削は、寛政10年(1798年)近藤重蔵のルベシベツ山道(後の黄金道路)とされていますし、
その当時は初代・歴代7代目伊達林右衛門(寿助:1837年没)の時代のはずですから。)
(追記:伊達東氏によると、寛政8年[1796年]は初代・伊達林右衛門が増毛、浜益の場所請負人になった年だそうです。)

さて、小さなことですが、二代目の存在は(歴代との関係で)どうなるのでせう?
(三代目は初代の子とも孫とも言われるようです...。[両者の生没年から推測して、子とは到底思われません...。])
[仮説:初代(7代目)の生没年は1757?-1837 の長命です。高齢に拠り、対外的な地位(対奉行所に)は
二代目に譲るも、内向きの家歴(7代目)は維持する。ところが、二代目が早世する。
結果、三代目に智信が就任し、その後8代目を襲名すると言う筋書きでしょうか...?]
[2012/06/01 追加]

PS.4 この時代の「山道」を調べるのに欠かせないのが「北海道道路誌」です。
古書で入手するのも困難ですが、幸いにもデジタルライブラリーで、自由に読むことが出来ます。
「増毛山道」以外にも興味のある、「ルベシベツ(ru-pesh-pet)山道」や「余市山道」も記載されています。

又、「山田秀三著作集」等を調べて行くうち、多くの山道が、既に在ったアイヌの道 (ru-pesh-pe)を
改修して成り立っているのが垣間見え、アイヌ語地名にも興味が膨らんで行きます。
[2012/08/18 追加]

<タイム>
06:11  岩尾温泉
10:41  雄冬山
10:55 雄冬山(下山)
13:41  岩尾温泉


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